だいたいこの時期、毎年人間ドックを受診するようにしている。5月下旬から6月末まで続く鬼の総会ラッシュ。しかしなぜか6月一週目だけ、台風の目のようにぽっかりと総会が入らないため、ここを狙って毎年ドックの予定を入れる。今回は4年振りに大腸内視鏡検査もやることにし、中1日の二日間に渡ってしっかりと身体を診てもらった。
正式な結果は後日判明するが、速報値的には特段問題は無さそう。久々の大腸検査も、検査に入るまで腸内から全てを排出するあの時間は、長くて体力的にもきついものであったが、検査後の結果説明で画像に映り出されたものは、素人の私が見ても明らかに病魔に侵されていない、きれいでツヤの良いトンネルだった。若い頃は健康が当たり前、いちいち診断結果を気にすることはなかったが、40を過ぎてところどころで基準外の数値が出始め、また周辺では若くして大病を患った人の話もあり、また親の病歴などを考えると、以前の若い頃の検査結果への無頓着は通用するはずがなく、特に久々の大腸検査結果には少々緊張して身構えてた。結果を受けて安堵というか単純に子供のように嬉しい気持ちになった。
検査結果には満足したが、そのドック初日、現地に着いて受付を済ませてしばらく待機時間があり、その間スマホで社内コミュツールを確認していたちょうどその時、Yahooニュースの速報が飛び込んできた。
「長嶋茂雄死す」
ここでこの人のことを長々とは語らない、語るとブログじゃなく短編小説になるくらいの個人的感情がある。ただ、ニュースを受けて最初の感情は、「あの人も死んじゃうんだ…」だった。ぽっかり心に穴が空く、そんな表現が正しいかもしれない。ドック受診を直前に控え、あらためて死というものを強く意識させられた。
一つだけエピソード。今年の夏、34年振りに東京で世界陸上が開催される。34年前の1991年夏の東京大会、中学三年生の私は幸運にも観戦が叶った。しかも100m決勝の行われた日のチケットをもらったのだ。今思うと不思議だが、1人で観戦した。長嶋語録でも有名である、「ヘイ、カール!」。あの時の大会だ。カールルイスがライバルのリロイバレルを僅差で破り、世界新記録で優勝した大会、長嶋は当日、キャスターとしてその現場にいた。
観戦した席も、ちょうど選手がゴールしたあとの第一コーナーに入るその辺りの中段席。素晴らしい席だった。レースが終わり、しばらくすると、キャスター席の長嶋が(キャスター席も近い位置で長嶋がいることは認識していた)、やたらとこっちを見るのだ。明らかに目が合った。こちらは胸が高鳴り、うつむき目を逸らす。しばらくしてまた目を長嶋に向けると、まだこっちを見ている。完全にパニックになった。1人きりだし、周りに知り合いもいない。長嶋の現役時代を知らず、根っから阪神ファンの自分が、長嶋にずっと見られてパニクった。せっかくの素晴らしい貴重な時間なのに、なぜかとても居心地が悪かった。
その後すぐに、自分の席の真後ろの席に、カールルイスのお母さんが座っていることを知った。長嶋はカールママの喜ぶ様を遠くから微笑みながら見ていたのだ。やっと理由がわかった私は、便乗してカールママと握手した。長嶋にずっと見られていた(と勘違いしていた)ことを、中学三年生の夏の思い出として、強烈に覚えている。
野球の話なしで、こんだけ長々となってしまった。最後に例の伝説のスピーチ、「我が巨人軍は永久に不滅です(Our Giants will live on forever.)」。よく言う「頭痛が痛い」的だ。普通なら「巨人軍は不滅です」、とか「巨人軍は永久(永遠)です」なのだろう。引退時のこのスピーチはさぞ感動的だったろうが、後世の(長嶋を知らない)人からすると、自然と笑いを誘う、人を心地よくさせるフレーズだ。
人間ドックの帰路、サザンの「栄光の男」を聞きながら、心の中で偲んだ。