ここ数年間で、いや向こう数年間を含めても、7月中旬から9月末までの約2か月半は、日本人と日本社会にとっては忘れられない多くの出来事が記憶として残る時間となった。7月12日からの4回目の緊急事態宣言発出、開催の是非から問われたTOKYO2020の開催が7月23日。オリンピック終了後の8月半ばにおけるコロナ感染拡大(第5波)。そして菅総理の退陣表明と自民党総裁選(9月29日)。8月のお盆頃には線状降水帯と呼ばれる積乱雲の連続発生による豪雨により、日本列島の多くの地域に被害をもたらした。もともとコロナ禍でのお盆に長雨が加わり、「飲みにも行けず、旅行にも行けず、盆踊りも花火大会もない」人々から夏休みを奪った。
学生にとっては我々以上に時間の重要度が高いわけだが、その短い学生生活の大半がコロナ禍で様々な制限を強いられた。WEBでのリモートでの学びは一定の効果は期待できるものの熱量やリアル感には乏しく、ディスカッションや多くの人前での発表など社会人に向けての訓練の場を失った。人に会えず、行きたいとこに行けず、飲食業のアルバイトを行っている学生はその仕事が蒸発、学費負担がのしかかる。一方、中高年に比べて若者はワクチンに消極的だと一括りにされる。衛生意識の高い学生だってごまんといる。そういう学生にとってみればたまったもんじゃない。やりたいことが出来ない上に、いわれのないレッテルを貼られる。
「最近の若い人は…」とは、今も昔も言われ続けているが、かつての若者でそのように言われていた人が現在は中高年になって若者に同じことを思う。もしくは、自分の短所には気づかず、他人の短所に目が向いてしまう。人は自分を特殊に思い、他人を一般化したがる。まさに思考のクセ(=バイアス)。今の若者を生んだ社会は、先輩である今の中高年が作ったというのに。中年期に差し掛かった自らにも言い聞かす。
さて、本日10月1日は、来年3月卒業見込みの新卒予定者の内定式。入社式とは違い、内定式はあくまで学生が対象。今だからできること、学生だからできること、コロナ禍だからこそできること、社会人になってはできないことをぜひ見つけてやってもらいたい。今を嘆くのではなく、今だからこそ気づくこと、やれること、それを見つけて限られた時間、残り半年間の学生生活を充実させて欲しい、メッセージの肝は「時間の価値」だ。
たまに耳にする「お金と時間、どっちが大事か」という質問。金銭感覚は子供の頃から養われるが、時間感覚はあまり意識しない、そもそもそんな言葉は聞かない。お金と時間の共通点は両方とも有限。しかし時間はお金と違い、万人に共通に与えられている。時間は有限である、ということを理解すれば、おのずと時間の価値・重要性に気づく。仕事には必ず期限を設ける意味もそこにある(逆に言えば、期限を設けないから進まない仕事がある)。どちらが大事かという質問の答えにはならないが、時間の価値に気づけば、お金はあとからついてくるだろう。お金には増減があるが、時の刻みは一方通行。お金の無駄遣い以上に時間の無駄遣いは罪だ。
本社エントランス。いよいよリニューアルに向けて1か月の工事が始まる。