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社長ブログ

2025.07.29

千葉港運協会2025韓国釜山港視察

千葉港運協会 釜山港湾視察報告
期間 2025年7月17日(木)~20日(日)

〈釜山基本情報〉
国名 大韓民国
人口 5,100万人(韓国全体)、釜山は第二位の都市
時差 なし
通貨 ウォン(WON) 10,000ウォン≒120円

◆はじめに
当社が属する千葉港運協会の役員(理事以上)恒例の他港視察。今回は5年に1度の海外他港ということで、国際貿易ハブ港で知られる韓国釜山を視察することとなった。
(コロナ禍があり、実際は2018年以来の海外視察)

◆1日目
韓国釜山空港到着後、チャーターバスで市内に移動。人口5100万人の韓国の中で、第二位の人口を誇る釜山。かつて釜山市は400万人以上の人口を誇ったが現在では330万にとなり、人口減少の流れである。一方の首都ソウルは人口が増えている。

韓国戦争(朝鮮戦争のことを韓国人はこう言う)時に、ソウルが陥落した後、南朝鮮軍は釜山まで逃れ、この地を臨時首都として抗戦した。もともと釜山は港町として栄えており、産業は7割はサービス業、特に近年国際港湾都市としてその名を馳せている。一方で国際ハブ港ということで、貨物の国内外への出入りは決して多いわけではなく、工業団地が減少、上述のとおり働き場のない若者が北部のソウルに流れているようだ。釜山とソウルを結ぶ交通網KTS(日本でいう新幹線のようなもの)で2時間30分で両都市を行き来出来る。

街をバスで移動していると、いたるところに国旗が掲げられていた。たまたま我々が到着した7月17日は、現在の大韓民国の法律が出来た記念の日(祝日)ということで、それを祝したものであった。また釜山の象徴の一つであるカモメ。港湾エリアの魚市場にもその建物に表現されていた。


釜山市街。山と海に囲まれた狭い平地に、高層マンションが立ち並ぶ。

◆2日目 釜山港視察
韓国経済の中心であり、国際港湾である釜山港を視察。釜山は北東アジアのハブ港(Globalhub port)として確固たる地位を築いている。1876年に開港した釜山港は140年の歴史を持ち、この間も新港の建設、北港の再開発と、世界の物流の中心のため発展し続けている。

釜山港の特徴はトランシップ(積み替え)港として世界第2位であること。年間2000万TEU以上のコンテナを扱い、150カ国600港を結ぶネットワークを有し、また世界の主要な30の海運会社、その他100隻の定期船が専用ターミナルに寄港。特に新港ではコンテナ取扱量の増加に対応するため、埠頭施設とインフラの開発が現在進行形で行われている。具体的には、大規模なコンテナ船を扱うための17m以上の水深、ハイテク貨物自動処理施設など、ハード・ソフト両面を駆使して港湾サービスを提供している。新港ではさらにバース建設が進行中で、2030年には3000万TEU以上を扱う超大型コンテナ港になる計画である。積み替え港のため、港湾の規模の割に出入りするトラックの数は少ない。

北港では、海洋と観光の融合による国際的なビジネスとハイテク港として、地域経済と国家経済の発展に貢献すべく、再開発が進んでいる。

新港の建設、北港の再開発は、釜山港湾公社(BPA)が手掛けてきた。当公社は2004年に設立、両プロジェクトを推進してきた。BPAは、釜山港を21世紀の海洋強国、そして貨物と人と自然が共存する調和のとれた港を目指し続けている。


釜山新港。施設外からの風景。多くのコンテナ積まれ、ガントリークレーンが立ち並ぶ。

釜山新港視察後、市内を観光。観光名所の一つ、甘川(ガンチョン)文化村は、韓国(朝鮮)戦争時にソウルから釜山に逃れてきた人々が、山を切り開いて作った集落であり、山間の街並みが印象的。近年アート再開発プロジェクトによって観光地として生まれ変わった。


甘川文化村。山間部を切り開いて作った街並み。外国人観光客が目立った。

◆3日目 慶州視察
慶州は、かつて朝鮮半島を支配していた三つの国(高句麗、百済、新羅)の内、新羅の都があったところである。新羅とは、学校で歴史を習った頃は「しらぎ」と教えられたが、今では固有名詞として現地の呼び名に合わせ、日本でも「しんら」と教えるようだ。

新羅は紀元前57年に建国、その後三国時代の一角として他国としのぎを削り、7世紀に唐(現在の中国)と同盟を結び、百済、高句麗を滅ぼして朝鮮半島を統一した。ちなみに中国北東部からロシア沿海州エリアに居住していた女真族(のちに満州族)は、この新羅が高句麗を滅ぼした際、高句麗の一部が唐に組み入れられたその地を起源とするようで、女真族は朝鮮人が由来とのことだ。中国の歴史上、この女真族は金と清という2つの王朝を建て、中国を支配した。

観光当日は大雨で、当初視察を予定していた新羅時代の仏教遺跡、石窟庵と仏国寺の内、仏国寺の訪問は断念。代わりに新羅王朝の遺品が多く集まる地元の国立慶州博物館に赴いた。圧巻だったのは慶州大陵地区の古墳群。巨大な古墳が無数に点在する様は特徴的であった。博物館内の資料によるとこの古墳の発見は、1920年代の日本統治下に発見されたという。慶州の中心街であったこの付近で、家を建てるために周辺の丘から土を削って地面を均していた際、子供たちがこの土の中から複数の玉を見つけて遊んでいたのを、日本の警察官の目に留まり、その後遺物が発見されたという。その丘こそ、新羅時代の墓だった。金冠が多数見つかったため「金冠塚」と名付けられた。

ガイドさんの話から一つ豆知識。お墓を表すものとして、「塚」と「陵」とある。「塚」は誰のお墓かわからないときに使用し、「陵」は特定の人物のお墓を指すという。確かに日本でも地方に行くと、「首塚」と呼ばれるお墓の密集地がある。古戦場や人々が生活する集落に見られる。


新羅を代表する仏教遺跡、石窟庵。


月精橋。新羅時代の美しい伝統建築の建造物(復元)。川に架かる橋の入り口。寺院ではない。


慶州を代表する観光名所、慶州大陵苑「金冠塚」。古墳群は独特の雰囲気。


金冠(国立慶州博物館にて)

◆4日目 帰路
三泊四日の視察であった。韓国は初めてだったが、韓国料理は好物で日本でも頻繁に食事に出かけるので、本場の料理は満足できた(ただし初日の海鮮料理はちょっと厳しかった、日本の刺身はやっぱりおいしい)。釜山という国際港を有する経済都市と、慶州という新羅時代の歴史・文化に触れることのできた、新旧を象徴する対照的な場所に訪れることができたのは、大変貴重な時間であり、有意義であった。

企画していただいた関係者の皆さま、視察に参加された千葉港運協会の皆さま、旅行会社の皆さまに感謝をお伝えし、報告とします。


最終日、釜山市内のロッテモールで買い物。伊勢丹三越に似ていた。


好物の海鮮スンドゥブチゲ。釜山最後の食事。汗だくだくになりながらも完食。

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